ちょっと哲学

”私”という意識を持った湖水

かな~り前の(笑)十代の頃、SF小説にハマっていたことがありました。

読んでいると、トンでいる話の面白さにつられて、自分の意識も どこか宙を飛んでしまう・・・そのあたりが面白くて、次々読んでいました。

そんな頃、あるSF小説の挿絵として描かれていた 湖の風景が目にとまり、トンでいる話につられて、その中身とは、全く関係のない別のイメージが 突然頭に浮かんできたんです。

本当に ヘンな話ですが、

もし、この世のどこかに ”私”という意識を持った湖水があったら・・・

他のことは 何もわからなくても ”私”のことだけはわかっている、

自分のことを ”自分”だと知っている湖水が もしあったら・・・

 その湖に 水をくみに行ったら どうなるのだろう。

ひとつのコップで 水をくむ。 

普通なら 何でもない水の入ったコップだけれど、その水は、その湖水なものだから、コップの中の水も ”私”と思っている。 

つまり、

そのコップは、くまれたその瞬間から 元の湖水の”私”と離れて、もうひとりの”私”になっている。

そうして 次々、また別のコップでくみ続けると・・・

そこに いくつもの 生まれた時間も 形も違う、別の”私”ができあがる。

それって、もしかして どこか 人間と似ていない?

年の違いは、水がくまれた時間の差。

姿の違いは、偶然くまれたコップの形の違い・・

人は皆、違う時間に生まれ、違う時間、違う運命を生き、人がもしかして自分と同じ部分を持っているかも、なんて 普段考えもせず、生きている。

でも・・・

天災など、何かとてつもなく大きなものに遭ったりした時には、それまで何の関係もなかった人たちでさえ 突然 心がひとつに繋がり始め、人のことも 人ごとと思えず、協力し、助け合う。

人も この湖水のように 元々 皆 同じ”私”なのでは?

けして ”人”と”水”が一緒かも、なんて言ってるわけではなくて。

”私”と思っている湖水なんて はじめから有り得ないことだけど、よく考えると、人だって そもそも”私”という意識が どこから来ていて、それがまた どこに行くのか よくわかっていないのでは?・・・

なんて ほんとに飛び過ぎたイメージですけど、今でも 人との間で気分が沈むようなことがあったり、そのおかげで 優しい気持ちを持てなくなったりした時、たまに この ありもしない湖水を思い出すんです。

ほんとにヘンな話ですけどね。(^^)

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